院長ってどんな人?

 

 福島県いわき市生まれ.幼稚園のころは,スカートめくりをしまくって先生に怒られた記憶がある活発な子.小学校のころは勉強しなくても成績は良かったが,通知表にいつも落ち着きがないと書かれた.中学校も相変わらず勉強しなくても成績は良かったが,時代は校内暴力全盛期,ヤンキーの先輩にもまれる.小学校,中学校とサッカー部に所属していたが,今では誰も信じてくれない.一応,今でもリフティングぐらいならちょっと出来る.高校に入学すると,さすがに勉強しなくても成績が良いとはならなかったが,勉強するくせがなかったので,成績は全く良くなかった.

 しかし,なぜか歯科大学に勉強せずに入学できてしまう.大学では軽音学部とJazz研究会に入って,どっぷり音楽につかる.高校からやっていたギター,大学生のころが一番ましだった.大学時代はまたも大して勉強せずに進級していき,最後は国家試験もあまり勉強せずに受かってしまった.

 転機が訪れたのは,大学を卒業するころ.6年生の1月,国家試験の直前に歯科医師だった父が亡くなり,進路が真っ白になる.「オレ,これからどうしよう」 18歳の時からのクラブの先輩で保存修復学講座の青木先生に拾ってもらう.その頃,週に2,3回泊まってた.その節は公私共々ご迷惑おかけしました.特にプライベートで.

 大学卒業後は,歯科臨床研修医として1年間各科を研修し,研鑽を積む.あんなに真面目に各科をまわった研修医は少ないと思う.ホントです.なぜかというと,出来ないことを自覚していたから.補綴科や小児歯科ではしなくてもいい見学してたし,放射線科では造影剤の注射させてもらったし,矯正科ではレポートで指導医に喧嘩売ってた(真面目な内容でだったけど,今思うと生意気ですね).時間があるときは,図書館で師匠に勧められた山﨑先生や内藤先生の本を片っ端から読んだ.もちろんその他も.一番印象に残っているのは,補綴第三講座の講義資料.リジッド,ノンリジッド,被圧変位量の局部義歯の考え方はインプラント全盛の今でも必要な知識だと思う.

 歯科臨床研修医として1年間各科を研修した後,大学院に進む.保存修復学講座の研究にはほとんど興味はなかったが,師匠から提示されたGTR(歯周療法関連),GBR(インプラント関連)のお題には俄然やる気を出す.当然,お隣の歯周療法学講座からは目の敵にされる.縄張り荒らし.それどころか所属する講座からも浮きまくり.大学病院ってそういうところです.一応,大学院として初めて論文を書いて投稿して学位を頂く.いい経験でした.一応,コピペとかはしてない.今となっては論文のテーマも古くなってしまったが,一つのことを自分でまとめて発表するという一連の過程を学べたのは良かった.

 大学院の研究を行いながら,大学病院の技工士さんとつるんでエンプレスなどのオールセラミックスをやりまくる.オールセラミックスの素晴らしさと難しさを同時にわかったいい経験だった.埋没材の湿度管理とかワケわからん.技工士さんからは他の先生たちの技工物のひどさの愚痴を散々聞かされる.オレ,形成も印象も合格点以上だったから.また藤本研修会を受講して,ナソロジーの基本的な考え方と補綴治療の基礎を学ぶ.ここで中心位に対する疑問がふつふつと湧き出す.このあたりから,師匠とともに神奈川歯科大学の佐藤貞雄先生の考え方を学ぶ.学び始めたころは何となくだった.今ではどっぷりハマってます.

 大学病院にいて,学問の縦割りに嫌気がさす.師匠の教え,「小さい銀歯の科と大きい銀歯の科が違うっておかしいだろ.医科でだったら,胃の入り口(噴門)の科と出口(幽門)の科が違うみたいな.」 当時の歯内療法の助手の先生は,「他の科,他の講座の人間には教えない」って公言してた.自分でやるしかないと,同級生を中心に,講座,診療科の垣根を越えた勉強会を主宰.一応,好評だった.

 医局員時代は,身内の診療を結構頼まれた.同級生,後輩,学生,大学職員など,ときには先輩.同業者に自分自身の診療を頼まれるのは,この仕事をしていて光栄なこと.おかげで正規の診療を17時半すぎに終了後,そこから毎日2,3人身内の診療,21時頃から自分の仕事,研究,24時頃夜ご飯を食べに行くという生活がほぼ毎日.もちろん,矯正科と違って朝は8時半からでしたよ.あの頃はあまり大変とは思わなかった.今だったらブラック認定.

 保存修復学の講座に在籍しながら,歯周療法学を研究のテーマにし,同時にオールセラミックス,インプラント,咬合,矯正を学んだ.父がそうだったし,師匠もそうだった.

 大学をやめてしばらくして父と同じ場所で西山歯科医院を開院する.最初は世間知らずの小僧で世渡りも下手だった.今では近所の同業から喧嘩売られても受けて立つ自信がある.だっていつも俺,正論だもの.でも,仲良くやっていきますよ.

  開業して6年目,またも転機が訪れる.東日本大震災,原発事故.すぐ近くで津波や地震の影響で大勢の人が亡くなった.自分が生きてることが不思議.原発事故直後は,もういわきには住めず診療室は廃院を考えた.が,まだ生きてる.自分は生かされてる.そう考えると人生無駄な時間はない.今日この日,この時間を頑張る.つまんないテレビ見てる場合じゃない.そんな気になったこの数年.